恋愛小説No.10「竜との秘密」

その竜は翡翠の眼を持っていた。
私がお父様から貰うどんな宝石よりも、北の国から見える星空よりも、それは美しい輝きを放っていた。

「綺麗……」

初めてその竜の瞳を見た時、感動で私は数十秒動けなかった。
口をぽかんと開け、竜から見ればバカに見えたかもしれない。

『お前は人間だね……』

私が何も言えないでいると、竜は低く唸るような声でそう言った。

「は、はい!」

私は心臓が高鳴るのを感じながらそう答えた。
竜は黒の鱗で覆われた体を曲げると、大きく頷いた。

……それが私たちの出会いだった。

龍はどうやら私たち人間の言葉を話せるようだが、口数はかなり少ない。
だが言葉の一つ一つが、夜の海のように、深く荘厳な雰囲気を放っている。

初めのうちは私のことを警戒していたのか笑顔すら見せなかったが、日を追うごとに、ぎこちない笑みを見せるようになってきた。
それが私にはとても嬉しいことのように思えて、歯の浮くような言葉をいくつも並べては、時間が過ぎるのを名残惜しんだ。

そうしている内に一年の月日が流れ、私は自分の国に居場所を求めなくなっていた。
この草原に、あなたがいるのだから。
興味はいつしか恋心に変わり、私の幼心を気持ちよく締め付けた。

……しかしそれから半年ほど経ったある日、私は父に呼びだされた。

父は私を部屋に通すと、椅子に座るように言った。
私は嫌な予感を感じながら腰を下ろし、父に尋ねた。

「お父様、何のご用ですか?」

すると父は叱るように私に言った。
 
「あの竜と会うのはもう止めなさい。竜は危険な生き物だ。人間を喰らうと言われている」
 
「え? どうして……」

私は竜に会っていることを誰にも話していなかった。
しかし父はどうやらそのことを知っていたらしい。
きっと誰かに私の後でもつけさせたのだろう。

「分かったな。話は以上だ」

父は私の意見など聞く気はないらしい。
 
いやです。

……私はそう答えたはずだった。
しかし、実際に口から出た言葉はそれではなく、父の機嫌を取り繕う言葉だった。
 
「分かればよい。あぁ……そうだ、婚約者のリストをまとめておいたから、目を通しておけよ」

父は表情を変えることなく無機質にそう言うと、私を部屋から追い出した。
震える唇と拳に絶望感を感じながら、その日は草原に行くことなく、私はベッドで眠りについた。

翌日、私は別れを言うために草原を訪れていた。
草原の真ん中で、一匹の竜が哀しそうに空を見上げている。

広く雲のない青空。
そこから降り注ぐ黄金の光が鱗に反射して、周りの草木を照らしていた。

「お待たせ」

私は無理やりに笑顔を作った。
 
『待ってはいない』

しかし竜は笑うことなく、私の影をじっと見つめていた。
きっともう全てを悟っているのだろう。
竜なのに人間みたいな表情をしている。
 
「あのね……私……」

言いかけたその時、竜が巨大な翼をゆっくりと広げた。
温かい風が私の身を包み、空に流れてゆく。

突然の強風に思わず私は目をつむってしまった。
しかし次第に風が安定してくると、何とか目を開けることが出来た。

「そっか……」

目の前を見ると竜の体が少し浮いて、地面に立っているのは私一人だけになっていた。
どうやらもう行ってしまうらしい。
不思議と心は痛くない。
 
『人間の子よ』

竜が放ったその声はとても静かな声だった。
しかし木々の騒めきに溶けてしまうくらい弱弱しいものだった。

『ありがとう』

……本当にそう言ったのかは分からない。
風の音が耳を塞いでいたし、なにより、あなたの姿さえも上手く見えなかったから。
 
でも、そう聞こえた気がした。

「じゃあね」

私は雲一つない空を見上げ、一人呟いた。

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