「エリザベス。お前との婚約を破棄……」
「それは嫌!!」
アレンのその言葉を受け、私はつい大声で叫んでしまった。
部屋に婚約者のアレンと私しかいなかったのが不幸中の幸いというものだろう。
誰かに聞かれた心配もなさそうだ。
「な……なに!?」
アレンは怒ったような困ったような微妙な表情で私を見ていた。
それもそのはずだ。
いつも大人しく振る舞っていた私が急に声を荒げたのだ。
とうてい彼の脳内予測でははじき出されない結果だろう。
「嫌って言ったのよ……聞こえなかったの? 婚約破棄なんてするもんですか!」
「き、聞こえたに決まっているだろう!!! お前……俺をからかっているのか!? 急にお前が大きな声を出したからびっくりしただけだ!」
アレンの剣幕が体の隅々まで伝わってくる。
だが、それでも私は一切退くつもりはない。
いや……正確には退けない。
全力で嫌と叫んでしまった以上、私に残されたのは全力で婚約破棄を破棄する道しかなかった。
昔から私はそういう人間だった。
かっこよく言えば一度決めたことは曲げない、少し悪く言えば頑固で意地っ張り。
アレンとの婚約にあたって無意識の内に、その性格を心の奥に押し込んでいたらしい。
久しぶりに感じる自分の本当の姿に心臓が音を立てて反応している。
さて……ここからどうするか……。
私は緊張感に苛まれながら、思考を止めることはなかった。
車のエンジンのように頭を高速回転させる。
……まずは相手の弱みを突く。
それが私の出した答えだった。
「アレン!!!」
私は再び大きな声を出した。
アレンの体がびくっと小刻みに震えた。
「本当にあなたは私との婚約を破棄してもいいのかしら?」
「なに? どういうことだ?」
アレンが眉間にしわを寄せ、何かを考えるように私を見つめる。
よし……食いついた。
私は心の中でガッツポーズをした。
「正直に言わせてもらうけど、あなた……貴族の中でも底辺中の底辺よね。今もギリギリ貴族の地位に留まっているのでしょう?」
「なんだと!? ふざけたことを言うな!!」
アレンの顔が怒りに震える。
「本当の事でしょ。もしあなたが王子様か何かだったなら、今頃他の国の王女と結婚してるわよ! 私みたいな教会住みの聖女とは婚約なんかしないわよ! それだけあなたの地位は低いのよ! そのこと分かってる!?」
「ぐぬっ……お前は……」
アレンが分かりやすく歯ぎしりをしている。
相当悔しいのだろう。
さて……次はどうするか?
私は再び頭を回転させた。
*
次は私のことを必要だと分からせないといけないわね。
私はそう結論づけると、口を開いた。
「でも、アレン。あなたの唯一褒められるところは私と婚約したところよ。そう思わない?」
「な、なに!? どういうことだ」
私は笑顔を見せることもなく、冷静に言う。
「もし私とこのまま結婚すれば、いずれ私が教会の聖女長になった時にあなたは教会の後ろ盾を得ることができる。違う?」
「た、確かに……教会の力は絶大だ……俺の地位だって……」
アレンが納得したように何度もうなずいた。
さっきまでの怒りはもう面影も無かった。
笑みさえこぼれている。
これならいける……私は確信した。
「アレン! 二人で底辺貴族を脱出しましょ! あなたが貴族の……私が教会の……それぞれの力を使えば、この国の最高位の権力をきっと手にできるはずよ!! 今までバカにしてきた連中を見返してやりましょう!!」
「ああ……そうだ……できるかもしれない……」
アレンの顔が完全に笑みでいっぱいになった。
きっと今頃、自分が大貴族になった妄想でもしているのだろう。
「私達ならきっとできる! アレン! 一緒に頑張りましょう!」
「そうだな……俺たちならやれる……エリザベス! やっぱり俺たちは結婚しよう! そして最高位の貴族になるんだ!」
「ええ! もちろんよ!」
やった……ついに婚約破棄を破棄することに成功した。
達成感が体を突き抜ける。
だが……
戦いが終わり、私が歓喜の声を上げようとしたちょうどその時。
あれ?と小さくアレンが呟いた。
「エリザベス……そういえば聖女長って高位貴族と結婚した聖女しかなれないんじゃ……」
さて……次はどうする?
*
「アレン……ここへ……」
俺は父が寝ているベッドの横に立った。
父が謎の病に悩まされて一か月。
父はみるみる内に衰弱していった。最初はすぐ治ると笑っていた父だが、今となってはその顔からは笑顔さえも消えていた。
目は虚ろになり、かなり痩せている。
そんな父の変わり果てた姿を見るたび、俺は胸がキリキリと痛んだ。
「父さん」
父は目をうっすらと開け、俺を見ている。
「アレン……すまなかった……お前をもっと位の高い貴族にしてやれなくて……」
「いや、いいんだよ父さん。俺は貴族の生活が出来ているだけで嬉しいよ」
父のかすれた声にあわせるように俺は小さな声で言った。
「そうか……確かに今は、一人だが使用人もいるしな……」
「ははっ……そうだな」
俺は無理やりに笑顔を作ったが、父は笑わなかった。
その目には虚無と後悔がにじみ出ていた。
「だが……どうせならもっと上に行きたかったなぁ……」
父の夢は位の高い貴族になることだった。
若い時から必死で働いてお金を貯め、その努力が叶ったのか、ついに貴族の令嬢と結婚をすることができた。
だが、俺の母にあたるその令嬢は俺を産んで死んでしまい、残された俺たちは底辺貴族へとゆっくりと落ちていった。
「アレン……私が死んだ後……」
「と、父さん! そんなこと言うなよ! 死ぬなんて言うなよ!」
思わず声に感情が乗り大きくなる。
「いや、分かるんだ……何となくな」
「くっ……」
俺は涙をこらえるのに必死だった。
「アレン……私が死んだ後、この家を引き継ぐのはお前だ。このまま底辺の貴族でいるか……別の……違うことをするか……お前が決めるんだ。頼んだぞアレン。頑張れよ……愛する息子……よ……」
「ふ、ふざけんなよ! 父さんが生きてまた……また……本当に……ふざけんな……くそっ……父さん」
その後……父が言葉を返すことは永遠に無かった。
*
「どうすればいいんだ……」
俺は部屋の窓から満月を眺めていた。
父が死んでから二週間が経った。
使用人には暇を出したので、この家にはもう俺しかいない。
毎晩こうして月を見て考えるも、この先どうしたらいいのかまるで分からない。
それに十日後にはエリザベスとの結婚も控えている。
彼女は今この街を出ているが、もうじき帰ってくるはずだ。
このことをどう説明しよう……。
「はぁ……」
不安で押しつぶされそうだった。
このまま結婚していいのだろうか……。
この家は?……貴族ではいられなくなる?
様々な思いが絡みついて、頭が痛くなった。
「くそ……何で死んじまったんだよ……父さん……」
その時ふと、俺は父が言っていた言葉を思い出した。
『だが……どうせならもっと上に行きたかったなぁ……』
「上か……」
涙を拭き、再び月を見る。
不思議と月がいつもより光って見えた。
「上……今の俺には無理だよな……」
そして自分のことを考え、悲しそうに俯く。
俺には出来ない……そうだよ……。
「……いや、待てよ」
だが、俺はあることを思い出した。
「父さんは元々は平民だった……でも努力して貴族と結婚することができた……なら……俺にだって出来るかもしれない!」
希望が突然体の中から溢れてきて、周りが明るく見えた。
「エリザベスには悪いが……婚約を破棄しよう……そして上級貴族と結婚……そうすれば俺は貴族でいられる、それに父さんの夢も叶う……」
その三日後、俺はエリザベスを部屋に呼びだした。
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