婚約者のロバートに呼ばれた私が彼の部屋の扉を開けると、そこには申し訳なさそうな顔をした彼が立っていた。
「ロバート様、話とは何でしょうか?」
私が問いかけると、数秒の後、彼は口を開いた。
「実は、俺……結婚することになったんだ」
「えっ!?」
その言葉を聞いた瞬間、私は頭が真っ白になった。
――そんな! だって……私達は愛し合っているはずなのに!!
どうして急に結婚するだなんて……そんなことって……!!
心の中でそう叫ぶも、声にはならない。
なぜなら彼はこの国の皇太子様なのだから。
たかが伯爵令嬢の私など捨てられる存在なのだ。
文句の一つでも言おうものなら私は即座に打ち首だろう。
「おめでとうございます!」
私は無理やりに笑顔を浮かべて言った。
しかし内心は悲しみに溢れていた。
――なんで?どうしてなの?こんなにも貴方を愛しているのに……。
「ありがとう。君には本当に感謝している。いつも俺を支えてくれて……」
ロバートもどこか悲しそうな顔をしていた。
「いえ、私は当然のことをしたまでですわ。感謝するのはむしろ私の方です。幸せな時間をありがとうございました」
私は必死に取り繕うように答える。
だが頭の中はもうグチャグチャだった。
すると突然、目の前にいるロバートの顔つきが変わった。
「……俺は……君のことが好きだ……愛している……」
ロバートが真っ直ぐこちらを見つめながらそう言った。
それはまるで愛の告白をしているかのようであった。
決意に満ちた言葉に私は一瞬期待をしたが、すぐに我に返った。
「何を仰っているのです?そのような戯れ事はやめて下さいませ!!あなたはもう……私とは別れなければなりません!!」
思わず大きな声で叫んでしまった。
しかしロバートは全く動じない様子で話を続ける。
「君は、俺のことが好きじゃないのか?」
「……好きですよ。でもそれとこれとは別問題です。あなたはこの国の王様として……私はただの貴族の娘として生きなければならないんですから……」
私は感情を押し殺して答えた。
「確かにそうだね。だけど俺は君と一緒にいたい。たとえそれがどんな形であれ……やはり結婚は断って……」
「そんなこと言わないでください。お願いしますから……」
私は泣きそうになるのを堪えながら訴えた。
しかしそれでも彼は揺るがなかった。
「すまない……。俺は君を幸せにしてあげることが出来ないかもしれない。だけど……本心では君と人生を共にしたいんだ……どうか俺と……結婚して欲しい……」
ロバートが震えながらそう言った。
自分の言った言葉の意味を理解し、それがどれだけ無謀なことか分かっているのだ。
「嫌です!絶対に嫌!!」
これも彼のためなのだ。
私なんかと一緒になったらどれだけの侮辱と罰を受けることか……。
「頼む!!俺と結婚してくれ!!」
彼が初めて大声を出した。
そしてそれと同時に私は彼に抱き締められた。
「えっ!?ちょ、ちょっと待って……」
突然の出来事に頭がついていかない。
「お願いだ……。これからもずっと俺の傍にいてくれ……皇太子としての命令だ……」
「そ、そんなこと言われたら……断れないじゃないですか……」
私は観念するように呟く。
するとロバートが抱きしめたまま頭を撫でてくれた。
その温もりに涙が止まらない。
「必ず幸せにするよ……」
そう言ってくれたロバートの言葉を信じたいと思った。
「はい……」
私は小さく頷いた。
*
ロバートは王宮の中でも一際豪華な扉を叩いた。
「誰だ」
扉の向こうから感情の籠らない低い声が聞こえる。
ロバートは緊張を帯びた声でそれに答えた。
「ロバートです……父上、話があります」
少し間があって、再び返事があった。
「入れ」
許可が出たのを確認するとゆっくりと扉を開く。
そこは絢爛豪華という言葉が最も相応しい部屋だった。
壁一面には絵画がかけられており、床には真っ赤な絨毯が敷かれている。
天井からはシャンデリアが吊るされ、その下には高そうなソファが置かれていた。
さらに部屋の隅には金でできた甲冑が置かれており、異様な存在感を放っている。
ロバートはその中心にある玉座に腰掛ける人物に向かって歩いていった。
「何用だ?」
相変わらず抑揚のない声である。
「父上……俺には心の底から好きな人がいます」
ロバートは真っ直ぐ前を向いて言った。
「ほぅ、お前にそのような相手がいたとは初耳だな。どこの王族だ?」
父は興味深そうに尋ねる。
ロバートは慎重に口を開いた。
「王族ではありません……伯爵令嬢のエリーゼという女性です」
「なんだと!?」
父の表情が見る間に変わった。
驚愕の色に染まり、目を丸くしている。
「どういうことだ?まさか……その女と結婚するつもりではないだろうな?」
「そのまさかです。俺は彼女と結婚したい」
ロバートはそこまで言うと、父は呆れたような息をはいた。
「バカを言うでない。伯爵令嬢如きと結婚などできるはずなかろう!この前私が紹介したソフィア王女にしろ」
父が怒鳴るように言った。
しかしロバートは一切動じずに言葉を返す。
「いいえ、それは出来ません。俺は彼女と結婚したいのです」
「何故だ?その女はただの貴族の娘ではないか。どうしてそこまで肩入れする?何の利益になる?」
父の瞳が鋭く光った。
その威圧感を発する眼光に一瞬怯みかけたロバートだったが、何とか気を持ち直す。
「愛は利益などで量れるものではありません。もっと単純で奥深い……人間の真理のようなことに思えます……」
「くだらん……妙なことを言っている暇があったら、先ほどの言葉を撤回しろ。今なら聞かなかったことにしてやる。さっさと私の言う通りにしろ!!これが最後だ!!」
父は怒り狂うように叫んだ。
しかしロバートも引き下がるわけにはいかない。
「嫌です。俺は彼女と添い遂げる」
「貴様……!!もう許さんぞ!!お前を廃嫡して追放処分にしてやる!!」
父は顔を赤くして怒りをさらに露わにした。
「構いませんよ。その代わり、俺が知っているあなたの悪事を全部国民にばらしますがね……確か……色々やっていますよね?大部分は国費の私的利用ですが……」
「な……」
父は虚を突かれたように固まった。
この国の国王であるロバートの父は、民から信頼される誠実な王として有名であったが、それは表の顔に過ぎなかった。
裏では国費の私的利用をはじめとした、とても誠実とは思えない違法行為を数々行っていたのだ。
ロバートはそれに気づいていたのだ。
「ふ、ふざけるな!!証拠もないくせによくそんなことが言えるものだ!!」
「ありますよ。ここに全て書いてあります」
ロバートは懐から一枚の紙を取り出して父の前に掲げた。
そこにはこれまでの不正の証拠が全て記されていた。
「そんな……馬鹿な……」
父は完全に狼狽した様子で頭を抱え込んだ。
「残念ですがこれは事実です。観念してください……俺の結婚を認めないのならこの事実が白日の元に晒されます」
「おのれ……貴様……!!」
父の顔が醜悪に歪む。
が、数秒後、運命を受け入れるようにすっと諦めた顔になった。
「……ふん……分かった。認めよう。お前の好きなようにしろロバート」
「ありがとうございます。父上」
こうしてロバートとエリーゼは無事に結ばれたのだった。
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