恋愛小説No.22「あなたのためを想えば」

ノックの音で私が部屋の扉を開けると、苦しそうな表情のアレックスが立っていた。

「モリス……君に大事な話があるんだ。中へ入れてくれないか?」

私は彼を部屋へ招き入れ、ソファーへと座らせた。
そして彼の向かい側に腰を下ろすと、思い詰めたような顔で私を見つめる彼に問いかけた。

「一体どうしたの?こんな時間に訪ねてくるなんて……」

すると、彼は少しの間黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

「……実は先日聞いたんだけど……君が僕との結婚を諦めて、別の相手と結婚するって本当なのかい?」

その言葉を聞いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。

どうしてそれを……。
視界が一気に暗転したような気がした。

驚きのあまり声を発する事が出来ずにいると、彼はさらに続けた。

「先日、父さんの書斎の前を通りかかったら、そんな話をしているのを聞いてしまってね。冗談だと思って父さんに聞いてみたら事実だって言われて……」

「……そうだったの」

アレックスは小さく溜め息をつくと、どこか諦めにも似た笑みを浮かべながら呟いた。

「やっぱり本当なんだな……」

その言葉に胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛んで、咄嵯に俯く。
力ない脚が小刻みに震えていた。

「ごめんなさい……」

謝ると彼は首を横に振った。
その行為がさらに私の胸を締め付ける。

「謝らないでくれよ。君の気持ちも考えずに浮かれて結婚の話を進めていた僕が悪いんだから……僕のせいさ……こんな僕なんて嫌いだよな……」

その言葉を耳にして、私は慌てて顔を上げる。

「違うわ!あなたのことが嫌いになったわけじゃないの!ただ……」

そこまで言いかけて口をつぐむ。
アレックスの事が好きだからこそ、彼と結婚できないのだと言うべきだろうか?
真実を話すべきだろうか?

でも、それは私の勝手な想いであって、彼にとっては迷惑以外の何物でもないはず……。
私は再び俯いて、自分の膝の上でぎゅっと両手を握った。

彼はそれを見て察したように笑みを浮かべた。
無理矢理に作った引きつった笑みだった。

「いいんだよ、無理しないで。仕方のない事だと思うし……それに君が僕の事を好きになってくれただけで十分嬉しいからさ。その思い出だけで生きていけるよ」

「えっ!?」

突然の甘い言葉に驚いて目を見開くと、アレックスは穏やかな笑顔を見せる。

「確かに最初は君の外見に惹かれていたけど、一緒に過ごすうちに内面の美しさを知ることができた。君は誰よりも優しくて誠実で素敵な女性だと気付いたんだ」

「アレックス……」

優しい瞳に見つめられ、心臓が大きく跳ね上がる。
ああ……やっぱりこの人が好きだ。
私は溢れ出す涙を止めることが出来ずにいた。

「泣かないで、モリス。僕は大丈夫だから」

そう言って微笑むと、彼はポケットの中から小さな箱を取り出した。

「これは……?」

不思議に思って尋ねると、彼はそっと小箱を開いてみせる。
そこにはシンプルなデザインの指輪が入っていた。

「本当はもう少し早く渡すつもりだったんだけどね。なかなか勇気が出なくてさ……こんな時に見せるのも変だけどさ……このままっていうのもなんかね……」

彼は照れ臭そうに笑うと、指輪を手に取り私に差し出した。

「これ、受け取ってくれるかな?」

「……!」

嬉しくて泣きそうになるのを必死に堪える。
彼の愛が心に伝わって温かい気持ちに満たされる。
と、同時に罪悪感も昇ってきた。

彼はこんなにも私を愛してくれているのに、私は彼ではない他の人と結ばれる。
果たしてこの指輪を受け取る権利が私にはあるのだろうか。

受け取るべきではないという考えが頭を過ったが、それでは彼があまりにも可哀想だと思った。
それにせめてもの償いとして、今ここではっきり伝えようと思う。
自分の気持ちを。

「ありがとう。とても嬉しいわ」

そう言うと、私は左手を差し出して薬指に指輪を通してもらった。
サイズはぴったりだった。

「良かった。サイズが合わなかったらどうしようかと思っていたんだ」

「心配性ね」

ふふっと笑みを浮かべる。

「大切な人への贈り物だから、ちゃんとした物を贈りたかったんだ」

「そうだったの。本当に嬉しいわ」

私が心からの笑みを向けると、アレックスはほっとしたような表情を見せた。
しかしすぐに真剣な眼差しになり、真っ直ぐこちらを見つめる。

「ねぇ、モリス。君は僕のことを愛してくれていたかい?」

「もちろんよ。今でもあなたが一番大好き」

迷いなく答えると、彼は安心したように息をつく。

「そうか……なら、良かった」

彼はそう呟くと、ソファーから立ち上がった。

「じゃあ僕はもう行くよ。夜遅くに邪魔をしてすまなかった」

「待って!」

帰ろうとする彼を引き止めると、私は少し迷った後で口を開いた。

「……最後に一つだけお願いがあるの」

「お願い?」

「うん……その……キスをして欲しいの」

すると彼は驚いたような顔をした。
当然だろう。
自分でも何を言っているのかよく分からない。
だけど、どうしても彼の温もりを感じたかったのだ。

本当に愛する人の温もりを。

アレックスはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように私の頬に手を添えた。
そしてゆっくりと唇を重ね合わせる。
それは一瞬のことだったけれど、まるで永遠のように感じられた。

「……これで満足してくれたかな」

名残惜しそうに唇を離すと、彼は寂しげに笑った。

「ええ……」

私は小さく返事をする。
きっとこれが彼との最後の口付けになるのだろう。
そう思うと胸の奥が苦しくなったが、それでも後悔はなかった。

「ありがとう。こんな我がままを聞いてくれて……」

「気にしないでくれ。それじゃあ……」

こうして私たちは婚約破棄をした。

時は遡り一か月前。
私の元にアルフレッド公爵家の子息ホセが訪ねてきた。
彼は応接間へ入ると、唐突に私に言った。

「モリス嬢……僕の婚約者になりませんか?」

突然の言葉に耳を疑う。
一体どういうことなの? 戸惑っていると、彼はさらに続けた。

「実は僕は以前から貴方のことをお慕いしていました。なのでどうか僕と結婚して頂けないでしょうか?」

まさかのプロポーズに頭が真っ白になる。
しかしどうして公爵家の彼が私なんかを?
私は戸惑いながらも言葉を返した。

「あの……申し訳ありませんが、私は貴方と結婚する気はございませんので……それに……」

私の言葉をホセが遮る。

「なぜですか!? 僕ではご不満だとでも仰るのですか!?」

「いえ、そういうわけではありませんが……あの……私には現在婚約者もいますので……」

「そんなことか……」

ホセはふっと笑みを浮かべる。

「モリス嬢。僕は本当に心の底から貴方を愛しています。あなたと人生を添い遂げたい。なので……今お付き合いしているアレックスさんとは別れて頂きたい……」

「ど、どうしてそのことを……」

どうやらホセは私のことを調査済みらしい。
驚きつつも、何とか冷静さを保つ。

「アレックスと別れろとおっしゃられても困ります。彼は大事な恋人ですから……いきなりそのような事を言い出されても……」

私が言い淀んでいると、ホセは不気味な笑みを浮かべる。

「アレックスさん……お仕事上手くいっていないようですね……」

ホセが試すような瞳を私に向ける。
私は背筋に寒気を感じながら答えた。

「……それが何か?」

「いいえ、何でもないですよ。ただ……このまま放っておくと大変なことになるかもしれませんね」

「……どういう意味でしょう?」

思わず眉をひそめると、彼は薄笑いを顔に浮かべた。

「そのままの意味です。まぁ、公爵家である僕の力を使えば助けることも可能ですがね……」

瞬間ホセの言いたいことが分かり、私はうろたえた。
彼は自分の婚約者になったらアレックスを救ってやると言いたいのだ。

「もし……もしも……この話を断ったら?」

恐る恐る尋ねると、ホセはあっさりと答えた。

「その場合は助けることはできないでしょうね。事実上は商売敵なのでね」

「なっ!?」

あまりの発言に絶句する。
反対にホセは優越感に満たされたような顔をした。

「さて……モリス嬢。どうなされますか?」

「……」

アレックスを助けるためには彼の申し出を受けるしかない。
しかし、そうなると必然的にアレックスと離れることになる。
果たしてそれで良いのだろうか。

私は悩んだ末に決断した。

「……是非……私を婚約者に……してください……」

「はい!喜んで!」

こうして私はホセの婚約者となった。

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