「チャールズ入るわよ」
私は何食わぬ顔で婚約者のチャールズの部屋を開けた。
「え?……」
しかし瞬間、私は目の前の光景に目を疑った。
チャールズと女が抱き合っていたのだ。
女は私と同じ位の背で、金色の綺麗な髪をしていた。
チャールズは彼女の背に手を回し、力強く抱きしめていた。
それはまるで物語のラストシーンのようだった。
「チャールズ……何をしているの?」
私が呆然とした様子で何とか言葉を発すると、チャールズは文字通り慌てふためいた。
「え!?……わっ!! リ、リアン! 違うんだ! これはその……」
チャールズは私に気づくとバッと女から手を離し、あせったように弁解し始めた。
「リ、リアン。これは違うんだ……ははっ……全然何でもないんだよ……ただの挨拶さ。そう、挨拶だよ!」
だが、彼の顔色はひどく、汗がどんどん噴き出している。
今までこんな状態の彼を私は見たことがない。
いや、正確にはこんな人間を見たことがない。
本当に隠したいことがバレてしまった時に、人はこういう顔をするのか。
私は一瞬で状況を悟った。
こいつは浮気をしている……と。
「チャールズ……その女の人は誰?」
チャールズの横で金髪の女があたふたとしている。
服装から見るに、おそらく教会の聖女だろう。
チャールズの腕を握ったまま、私と目を合わせないようにしている。
「あぁ……えーと……こいつはミーシャっていって……教会の聖女をしていて……」
チャールズが焦ったようにそう言うと、ミーシャと呼ばれた女が目を伏せたまま、お辞儀をした。
「あ……ミ、ミーシャと申します。あの……初めまして」
何だこいつは……私の婚約者を取っておいて、初めましてだと!!!
私は怒りが抑えきれずにミーシャの前にずかずかと歩いていった。
「……ミーシャって言ったかしら。聞くけど……私のチャールズとここで何をやっていた!?」
*
「あ……あの……私は……」
ミーシャが申し訳なさそうに視線を逸らす。
やましいことがあるからこういう態度になるんだ。
私は浮気を確信し、声を荒げた。
「何をしてたか聞いてるんだ! 答えろ!」
そして彼女の胸ぐらを掴むと、拳を振り上げた。
「おい!リアン! 止めろぉ!!!」
「きゃー!!!!」
ゴンッッ。
「はぁ……はぁ……」
気がつくと、目の前にはミーシャが倒れていた。
頬が赤く腫れ、口からは出血している。
「あ……ああ……私……」
自分でも一瞬、何が起こったのか分からなかった。
だが、冷静に自分の拳を見ると、そこには血がついていた。
もう一度目の前に倒れるミーシャを見て、私は自分がしたことをやっと理解することができた。
「ミーシャ! 大丈夫か!」
チャールズが倒れたミーシャの元にさっと駆け寄っていった。
彼女の背中を手で支え、ハンカチで彼女の口についた血を拭き取っている。
顔は真っ青だ。
「ええ。私は大丈夫です。ちょっと口の中を切っただけですし……」
対してミーシャはチャールズに心配をかけまいとしたのか、苦笑いを浮かべている。
「あ……あの……ミーシャ……私……」
「リアン!!!」
私がミーシャの元に駆け寄ろうとした時、チャールズが今までに見たこともないような剣幕で私を制した。
目の奥が怒りに震え、私を犯罪者でも見るような目つきで睨みつけていた。
「お前のそう言うところが僕は嫌いだったんだ……悪いが婚約は破棄させてもらう!! いいな!?」
「そ……そんな……」
私は頭が真っ白になった。
こんなこと……するつもりなかったのに。
私はただ……ただ……。
後悔しても時すでに遅し。
時間は残酷にも進み続けていた。
視界の隅でミーシャと共に部屋を出ていくチャールズの姿が映る。
私は何も言えず、その場に突っ立っていた。
「なんで……なんで……」
私が何でこんな目に遭わなきゃいけないの……
その後チャールズと私は婚約破棄をし、彼が私の前に現れることは二度となかった。
*
「なるほど……ではあなたは婚約を破棄したいと。そういうことですね?」
チャールズは頷いた。
目の前には金髪の聖女らしき女が立っていた。
「あいつとは……リアンとはもう限界なんです……最初は優しくて気が配れる素敵な女性だと思いましたが、最近はすぐ僕を怒鳴ってくるし……どんどん自分勝手になってしまって……」
「そうでしたか。それはお辛いですね」
女が優しい声でそう言うと、チャールズは頷いた。
「はい。でも、本人に婚約を破棄したいなんて言ったらどうなることか……ミーシャさんのような人がいてくれて本当に助かりました」
「いえ、そんな……これが仕事ですから」
そう言うと、ミーシャは微笑んだ。
その後も二人は綿密に計画を立てていった。
最終的には、ミーシャはチャールズの浮気相手役になり、二人が抱き合っている姿をリアンに見せれば彼女の方から諦めてくれるのではないかという結論に至った。
「では、実行の日は明日にしましょう。リアンさんをこの部屋まで呼んでください」
「はい。本当にありがとうございます」
チャールズが笑顔を向けると、ミーシャも笑顔で頷いた。
「これも仕事ですから!」
*
リアンと無事に婚約破棄を終えたチャールズは、新たに恋人を作っていた。
彼女の名はエリザベス。
知性的で、それでいてどこか奥ゆかしい彼女の性格にチャールズはどんどん惹きこまれていった。
恋人として過ごすこと三か月。
チャールズは彼女に婚約してほしいと告げた。
「チャールズさん……嬉しいです……こちらこそよろしくお願い致します!」
エリザベスは笑顔で頷くと、歓喜の涙を流した。
その後エリザベスはチャールズの家で暮らすようになり、平穏で幸せな時が過ぎていった。
しかし半年ほどたった時、エリザベスの様子が少し変わってきたことにチャールズは気がついた。
付き合った当初の柔らかな笑顔が、現在ではぎこちないものになっていたのだ。
それに心なしかため息ばかりついている気がする。
気になったチャールズは思い切って彼女に問いかけた。
「エリザベス、何かあったのかい? いつもと様子が違うようだけど……」
しかしエリザベスは諦めたように息をはくと、首を横に振った。
「……いえ。特に何もございませんよ」
不機嫌ともとれる彼女の様子にチャールズはさらに問い詰める。
「いや、そんなわけはないだろう。明らかにおかしい。何があったんだ? 言ってみろ」
一瞬エリザベスから殺気のようなものが立ち込め、チャールズは若干のけぞった。
エリザベスが眉間にしわを寄せながら口を開く。
「だから、何もないと言っているではありませんか。もう放っておいてください」
「しかし……」
チャールズはなおも言葉を続けようとしたが、エリザベスが逃げるようにその場を去っていってしまったため、彼は残念そうに口を閉じた。
一体どうしたっていうんだ?
僕が何かしたのだろうか?
それとも外で何かあったのだろうか?
元より心配性であったチャールズは不安の種が尽きず、暗澹な気持ちが沸き上がってきた。
そんな気持ちのまま数日が過ぎ去ったある日、チャールズはエリザベスに呼ばれ、彼女の部屋を訪れた。
「エリザベス、入るぞ」
ノックをして扉を開けたチャールズは、目の前に広がる光景を見てポカンと口を開けた。
驚きが全身を埋め尽くし、体がそのまま固まってしまう。
そこにはエリザベスと抱き合う男の姿があったのだ。
二人は来訪者の存在に気が付くとバッと離れ、気まずそうに虚空を見つめた。
「何をしているんだ!! エリザベス!!」
*
チャールズが狂ったような大声で叫ぶと、エリザベスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。私はあなたとは一緒にいられません。もう気持ちがないのです」
冷静にそう言った彼女は頭を上げると、隣の男性の腕に手を回した。
「新しい恋人のダニエルです。チャールズさん、そういうことですので、どうか婚約破棄をして頂けないでしょうか?」
チャールズは言葉すら発せないままその場に立ち尽くしていた。
喪失感が奔流のように流れ込んできて、怒りすら湧かない。
しかし少しして彼は、この現状にどこか既視感を持ち始めていた。
自分がかつての婚約者リアンにしたことと同じことが自分に返ってきたのだ。
「エリザベス……」
チャールズはやっとのこと口を開くと彼女の名前を呟いた。
エリザベスが「はい」と短く返事を返す。
「エリザベス……僕が悪かったのか?」
彼が問いかけると、エリザベスは少しの間の後口を開いた。
「誰が悪いかは正直断言はできません。あなたという人がいながら恋人を作った私にも非はありますし……しかし少なくとも、あなたの優柔不断な所や心配性すぎる性格が私には耐えられませんでした。いつか直してくれると期待しておりましたが、それが現実となることはありませんでした」
エリザベスは台本を読むかのようにスラスラと口にした。
「そっか……そうだったんだな……」
チャールズは心にぽっかりと穴が開いてしまったような気分になって、悲しそうに床を見つめた。
「それは辛かったよな……」
リアンに婚約破棄を宣言した過去があるチャールズは、彼女の気持ちが痛いほどよく分かった。
人間なのでどうしても相性の問題というものがあるのだ。
そのことを彼はよく理解していた。
チャールズはふと顔を上げると、無理やりに笑みを作りエリザベスを見つめた。
「僕は愛していたよ……君のことを……心の底から……本当に」
一瞬エリザベスが狼狽えたように口を開く。
しかし言葉は出て来ず、チャールズがそれに気づくこともなかった。
「でも君はその彼と共にいる方が幸せなのだろう? なら僕は潔く身を退こう」
チャールズはクルリと踵を返すと、扉に手をかけた。
「幸せにな……エリザベス……」
「ま、待って! チャールズ!」
*
去ろうとするチャールズをエリザベスの声が止めた。
彼女は今までにないくらい緊張感を持った顔つきをしていた。
チャールズが振り返ると、彼女は再び口を開いた。
「チャールズさん……ごめんなさい……本当は……その……」
言いにくいことでもあるように彼女は言いよどんでいた。
しかし覚悟を決めたのか小さく頷くと、しっかりと目の前のチャールズの瞳を見据えた。
「実は……今回のことは全部嘘なのです……あなたの気持ちを確かめるためにやったことなのです……本当にごめんなさい」
「……え?」
少し遅れてチャールズが驚きに顔を満たす。
「どういうことだい?」
「チャールズさん……あなたは良き婚約者ですが、ただ一つだけ……あまり愛を囁いてはくれません。私にはそれがとても不安なことに思えました。あなたの本当の気持ちを知りたいと常々思っておりました」
エリザベスが一呼吸入れて続きを話す。
「私は婚約破棄を突きつければあなたの本当の気持ちが垣間見えると考え至りました。そして偽者の恋人を演じてくれる会社を発見し、ダニエルさんに来てもらったというわけです。騙してしまい本当にごめんなさい」
エリザベスがそこまで言うと、ダニエルが気まずそうにチャールズに頭を下げた。
「えっとでは俺はこの辺で失礼しますね……えっと報酬もいただいておりますので……では失礼!」
そのままダニエルは逃げるように部屋を出て行ってしまった。
残された二人の間には殺伐とした空気が流れるかと思われたが、そうではなかった。
チャールズは満面の笑みを浮かべると、エリザベスをそっと抱きしめた。
「それなら良かった」
「チャールズさん……こんな私を……許してくれるのですか?」
「ああ……だって君のことを愛しているのだから……」
チャールズの囁きにエリザベスは顔を赤らめた。
「私もです……チャールズさん」
チャールズは赤面する彼女を見つめると、そっとキスをした。
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