恋愛小説No.12「さっさと婚約破棄してください」

ある日、姉の婚約者アーサーは私にこう告げた。

「婚約を破棄するのを手伝ってくれないか?」

「……え?」

瞬間私の頭は思考で埋め尽くされた。
一体彼は何を言っているのか……婚約破棄を手伝う?私が?
冗談かしら?

「えっと……どういうことですか?」

私が問いかけるとアーサーは申し訳なさそうに言った。

「実は……もうホルネとはやっていけないと感じてしまって……何というか、あの厳しい性格が僕にはとても耐えられなくて……」

なるほど、それ自体を姉に言うのも怖くてとりあえず私に頼んできたのか……。
だが、確かに彼の言っていることも分からないことはない。

姉のホルネは昔から性格のきつい人で、どんくさい私はよくいじめられていた。
本人にはもちろんその自覚はないが、「さっさと動きなさい!このバカ!」みたいなことを毎日のように言われていた私は、幼少期は惨めな気持ちでいっぱいだった。

そんな姉もアーサーという恋人ができ、婚約をして、やっと解放されると思ったのだが……。
どうやら私はまだ姉とは縁を切れないらしい。

「でも本当に姉と婚約破棄なんて出来るのですか?」

疑問を呈すとアーサーは不安げに言う。

「どうだろう……でも僕と君が協力すればきっと……」

私に出来ることなどたかが知れてると思うのだが……そう言いたいのを堪えながら私はアーサーの話に耳を傾けた。

「本当なら直接言えたならいいのだけど……それも難しいからね。ホルネの方から僕のことを嫌いになってくれたらいいかなと思うんだけど……」

「なるほど……確かにそれなら姉も婚約破棄したいと思うかもしれません」

私が納得したように言うと、アーサーが機嫌よく言葉を返す。

「だろ!? そこで考えたんだけど、僕の浮気相手をしてくれないか?」

「はぁ!?」

何を言っているの!?
まさか……私にあなたと浮気をしろって言うの!?
と考えると同時に、アーサーは焦ったように言葉を続けた。

「もちろんフリだよ! フリ! その辺を一緒に歩いてくれるだけでいいんだ」

「フリか……良かった……」

変な所に安心してしまう自分が恥ずかしい。

「君が嫌ならもちろんいいけ……」

「やりたいです!!」

私はアーサーの言葉を遮って言った。
今までの恨みを晴らせるチャンスだ!
ホルネを不幸にしてしまえ!
私の心はそう叫んでいた。

「ありがとう!」

アーサーは笑顔でそう言うと、私に計画を話し始めた……

後日、私はアーサーと街を歩いていた。
金色のカツラをかぶり、メガネなどの小道具を加えた私の姿は、遠目では本人だとバレることもないだろう。

「スイネさん、とりあえずあの宝石店へ行こうか」

「あ、はい」

男性とこうして肩を並べて歩くことも少ない私は、これが偽りだと分かっていても心がドキドキしてしまう。
こんな時姉のようになれたらなと切実に思う。

宝石店に入ると、老紳士が出迎えてくれて、私たちは店内に並べられた宝石の数々を目に映した。
さすがにお金の無駄だと感じたのかアーサーは何も買わなかったが、どこか楽しそうだった。

姉と一緒に出掛ける時はもっと落ち着かない様子なのかもしれない。
そんなことを考えると自然と笑みがこぼれる。

「どうしたんだい?」

「あ、いえ……なんでもないです」

そういえば私は二人のこと何も知らないんだな……と、ふと思った。

宝石店を出た後は二人で食事をした。
アーサーが気を遣ってくれたのか楽しそうに話してくれたので、退屈することはなかった。
料理もおいしいし、これが計画なのだということを忘れてしまいそうになる。

その後も私たちはまるで恋人のデートのような時間を過ごした。
男性と付き合った経験がほぼない私にとってそれは緊張するものであったが、思ったよりも時間は早く過ぎていった。

そして日が暮れ始めた時、アーサーは淡々と言った。

「……じゃあこのくらいでいいかな。今日はありがとね」

「え? は、はい……そうですね」

姉を欺くための作戦なのに、その本質をついつい忘れてしまいそうになる。
それだけ今日が楽しかった……ということだろう。

私はアーサーに別れを告げると、待機させていた馬車に乗り込み、一人帰路についた。
走馬灯のように今日の出来事が頭を駆け巡っていく。

「はぁ……」

外を歩くまばらな人達を見つめながら、私は大きなため息をついた……

後日。
私は部屋に姉を呼び出した。

「スイネ。急にどうしたの? 私時間ないのだけど」

「急でごめんね。どうしてもお姉ちゃんに伝えたいことがあって……」

私はそう言うと、ポケットから数枚の写真を取り出した。
そこにはアーサーと仲良さそうに歩く……私の姿があった。
もちろん変装した私の姿である。

おそるおそる写真を姉に見えるように前に出すと、姉はそれをパっとつかみ取った。

「は? なにこれ……」

姉はそう言うと、眉を吊り上げ鬼の面のような表情になった。
実際に背後に鬼が見えたような気がして、私の背筋を冷や汗が走る。
何回見ても姉の本気で怒る顔は慣れないものだ。

「アーサー? これはどういうことなの……」

「実はねお姉ちゃん……」

私は小さな声でそう言うと、一呼吸の後、話し始めた。

「この前街で偶然見かけて……あまりにも仲良さそうだったから、つい手に持ってたカメラで撮ってしまって……」

姉の怒りが私に向いてこないかヒヤヒヤしながら言葉を続ける。

「言おうかどうか迷っていたんだけど、お姉ちゃん言わないと怒るかなって……」

「そう……」

いつになく冷たい姉の声に心臓が口から飛び出そうになる。
隣に写っているのが私だとバレたら、きっと大変なことになるだろう。

しかしそれとは反対に、どこか晴れやかな気持ちも感じていた。
いつもの仕返しができたみたいで、怒りに顔を歪める姉の姿が滑稽に思えてくる。

そんなことを思っていると、姉が突然部屋を飛び出していった。
姉のしそうなことはだいたい分かる。
きっと電話でアーサーをこの場に呼ぶつもりだろう。

程なくして姉は戻ってくると、悲しそうに私に言った。

「これからアーサーがここにくるから……」

私は出来ることはした……あとはアーサーが頑張る番だ。
心の中で激励しながら、私たちはアーサーの到着を待った……。

三十分後。
慌てた様子でアーサーが部屋に入ってきた。
突然の電話にも対応できたのは、事前にこうなるかもしれないと話していたためである。

「アーサー!! なんでここに呼ばれたか分かる?」

「えっと……分からないな……」

もちろんアーサーは知らないふりをする。

「これを見てもそんなこと言ってられるかしら?」

そう言うと姉は手に持った写真をアーサーの前でちらつかせた。
アーサーの顔に緊張が走る。

「そ、それは……どうしてそれを君が……」

「その様子だとやっぱりこれは本物のあなたのようね」

アーサーの迫真の演技にこちらまで緊張してくる。

「どうして……こんなことしたの? もう私のことは好きではないの?」

と、その時突然、姉の声が悲しいものに変わった。
涙こそ流していないが、すっかりよわよわしくなってしまっていて、普段の厳しい姉からは想像もつかぬ姿だった。

「私……あなたがいなくなったら……とても生きていけない……」

そしてそのまま姉は泣き崩れるように地面に座り込んでしまった。
アーサーはどうしたらいいのか分からずあたふたとしている。
私も意外な展開に茫然と立ち尽くしていた。

少しの間の後、アーサーは姉の肩に手を置いた。

「えっと……実は、君のきつい性格というか……厳しいところが僕には負担になってしまっていて……だから……その……」

アーサーはどこか迷っている様子だった。

「分かった。直すように頑張るから! だから私のことずっと好きでいて!」

アーサーは胸を打たれたような表情をすると、一瞬の間の後、頷いた。

「ああ!!」

姉のギャップを垣間見たアーサーは、もうすっかり婚約破棄など考えていないようだった。
確かに姉は顔は美人だし、スタイルもいい。
性格さえ直れば文句など言えるわけがない。

アーサーは姉に惚れ直したようだ。

姉は立ち上がるとアーサーと抱き合った。
姉の人間らしい一面に怒りや復讐心とは違う感情を抱いてしまう。

「実はね、ホルネ……」

アーサーはそう言うと、私たちがしたことを全部姉に話した。
姉は不思議と怒りはせず、申し訳なさそうに話を聞いていた。
そしてアーサーが話し終えると、言った。

「アーサー、スイネ。今までごめんなさい。きつく当たってしまっていて……本当にごめんね……」

……その後姉とアーサーは婚約破棄などすることなく、無事結婚を果たした。
そして私にも恋人ができた。

アーサーが私に計画を話したあの日から何かが変わった気がする。
今までは苦い思い出しかなかった姉との記憶も、今では少しその意味を理解できるようだった。

誰かのためを思った言動がきつくなるのは当たり前だ。
それだけ愛が深いということだ。

「でも、暴言はダメよね」

そんなことをふと思って、私は静かに微笑んだ。

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