恋愛小説No.13「あなたのおかげです」

「俺と婚約破棄をしてくれないか?」

私の恋人レオンはある日、そう告げた。

「え?」

直後私の思考は固まり何も考えられなくなった。
数秒の間の後、レオンは続けた。

「実は他に好きな人が出来てしまって……婚約の話はなかったことにしてほしいんだ」

「……は?」

彼と出会ったのは一年ほど前、パーティー会場で意気投合し、気づいた頃には付き合っていた。
端正な顔立ちな彼が私のことを選んでくれた時は本当に嬉しかったし、結婚生活を想像しては眠れぬ夜を何度も過ごした。
しかし彼の想いは私から離れてしまったらしい。

「もう私のことは好きじゃないの?」

ダメもとで聞いてみるが、答えが分かっているようで、胸がキリキリと痛む。

「ああ、もう好きじゃない……まあ、もともとそんなに好きじゃなかったし」

「え……どういうこと?」

レオンの初めてみる冷徹な顔に寒気が走った。
初めて会ったあの時も、二人で食事をしている時も、愛を誓った日もこんな顔はしたことない。
レオンの本音が聞けるという好奇心と恐怖心が心の奥で葛藤していた。

「確かに顔はまぁ……まあまあだけど、その……性格がうざったいっていうか」

「はぁ!?」

「その……君よりも性格もよくて美人な人と知り合えたし……もういいかな、みたいな?」

「レオン……そんな……」

彼はこんな人だったのだろうか。
少なくとも今までの私はこんな彼のことなど知らなかった。
初めて見るレオンの本性に絶望感のようなものがなだれ込む。

「なんでそんなこと言うの……?」

私は自然と涙を流していた。
久しぶりに流す涙はとても熱くて、もう冬なのに頬が火照って仕方がなかった。
目を指でこすりながら、私はレオンを見つめた。
だが彼の目は私を見つめ返すことはなく、床をぼうっと見つめていた。

「本当にすまないと思っているよ、でも仕方がないことなんだ。分かってほしい」

「そんな……そんな……」

その後は特に話すこともなく、私は逃げるように部屋を後にした……

家に帰ると、私の異変に気付いたのか姉に声をかけられた。

「ミル、どうしたの? 何かあった?」

「……ううん、何でもない。大丈夫だから」

姉にレオンとのことを告げれば少しは心のおもりも軽くなるのかもしれない。
しかし、この姉は普通の姉ではない。
それを知っていた私はなるべく自分のことを話さないようにしていたのだ。

私と違って美人でスタイルよく生まれてきた姉は、両親の溺愛を一身に受けていた。
私が生まれてもそれは変わらず、私の世話は使用人に任せっきりだった。

そんな環境で育ったためか、姉は昔から我がままで卑劣だった。
欲しい物があれば手に入れるまで満足しないし、平気で人を見下す。
家の外では上手く生きているようで評判は良いが、家ではその反対だった。

両親の前では姉も少しは抑えるが、私の前では違った。
ちょっとでもバカにできる所があればバカにし、それを楽しんでいるようだった。

そんなことがあったものだから、姉にはレオンとのことは知られるわけにはいかない。
もちろんいつかはバレると思うが、もう少し心の準備が出来てからにしてほしい。
その願いが通じたのか、姉は「そう。まあいいや」と言ってどこかに出かけていってしまった。

私はほっと胸を撫でおろすと、急いで部屋に入り、頭の上から毛布をかぶった。
そして一人静かに涙を流した……。

「ううっ……」

声が漏れてしまわぬように枕を顔に押し付けた。
もちろん外に泣き声など聞こえるはずもないだろう。
だが、私は不安でたまらなかったのだ。

とにかく自分の身に起こることが……未来が。
ただ自分の中に押し込めていたかった、何もかも。

そうしている内に時間が過ぎ、私はいつの間にか眠りについていた。

「ミル様! お食事の用意が出来ました!」

「……ん?」

使用人の声に目覚めた私はベッドからゆっくりと体を起こした。

「今行く!」

イラついたようにそう言うと、窓から外の景色を眺める。
もうすっかり夜になっていて、街灯が明るく輝いていた。
それを見てたらふとレオンのことが思い浮かんできて、ついつい泣きそうになってしまう。

「……忘れなきゃ。忘れればいいんだ……」

自分に言い聞かせるようにそう言うと、私は扉を開けた……

食事の席では会話の中心は姉だった。
どうやら今日は恋人と会ってきたらしい。
自分の恋人がどんなに優れているかを必死にアピールしていた。

「……でね彼は会社経営してるの。それに顔もイケメンだし、文句の付け所がないわ。ミルの彼氏と違ってね。ふふふっ」

姉の高らかな笑いに両親も同調している。
相変わらずの居心地の悪さだ。

「そういえばミル。手紙が届いているぞ……」

食事が半分ほど進んだ所で父はそう言うと、私に手紙を渡した。
差出人はロンドとある。

「え!? ロンド?」

ロンドとは幼馴染の名だった。
数年前に引っ越したはずだが……この街に帰ってきたのだろうか?

私は急いで食事を済ますと、手紙片手に部屋に駆け込んだ。
ベッドに腰をおろし、恐る恐る手紙の封を切る。

『ミル。元気かい? 実は最近こっちに帰ってきたんだ……』

そんなような言葉から始まり、世間話や仕事のこと、そして最後には連絡先が書かれていた。
絶望の中にいるからか彼の手紙が救世主のように思えた。

早速ロイドに電話してみると、昔より低い声になったロイドが電話に出た。

「やあミル。久しぶり。手紙読んでくれたんだね」

声変わりはしてもどこか優しい彼の声は、私に安心感を与えてくれた。

「うん。急だったからびっくりした。ロイド……いつこっちに帰ってきたの?」

「一週間くらい前だよ。やっぱりここが僕の故郷だからね」

その後も数分私たちは話をした。
会わない時間が長かった分、それなりに緊張はしたが、思ったよりもすんなりと話すことが出来た。

そして電話が終わろうとした時、ロイドは言った。

「ミル。もしよかったら今度食事でもどうかな?」

「え?」

どこか心の奥が熱くなる。

「その……直接話したいこともあるしさ……」

「う、うん……分かった」

その後待ち合わせ場所や時間を決め、私は受話器を置いた。
心の中はロイドと会えることでいっぱいだった。
いつの間にかレオンのことなど忘れ去られていた。

……そうして一週間後、指定されたレストランに行くと、ロイドはもう席についていた。

「やあミル! こっち!」

久しぶりに見た幼馴染の風貌は、見違えるようにカッコよくなっていた。
少しだけ心が躍る。
私が席につくと、ロイドは話し始めた。

「今日は僕のおごりだからさ、いっぱい食べてね」

「そんな、悪いわよ」

「いいから。いいから!」

そう言ってロイドは笑った。
彼の笑顔は私には眩しすぎて、一瞬めまいを起こしてしまうかと思った。

そして食事が進み、デザートが運ばれてきた時、彼は言った。

「実はね……今までずっとミルのことが気になっていたんだ……」

「え?」

私は瞬間体温が上昇するのを感じた。
緊張から彼の顔を直視できない。

「もし君が今誰とも付き合ってないなら……僕と付き合ってほしい」

「え? えっと……」

急な展開に頭が追いつかない。
必死に彼の言葉を咀嚼すると、数秒の後、やっと私は話すことができた。

「……私でいいの?」

「もちろんだよ。君じゃなきゃだめなんだ」

ロイドはそう言うと、再び私に笑顔を見せた。

実を言うと、彼は私の初恋の人だった。
彼が引っ越したことがきっかけで諦めもついたが、また会えると知っていたら、レオンと付き合うこともなかっただろう。

「ありがとう……私でよければ……喜んで……」

「本当に!? やったぁ!!」

ロイドが大袈裟に両手を上げる。

「うふふ。喜びすぎ」

「そうかい? ははっ」

……その後私たちは恋人となり、婚約をして無事に結婚式を終えた。
風の噂だが、レオンは結婚詐欺に引っかかってしまい貯金をほとんどなくしてしまったらしい。
どこか気分はすっきりするが少し気の毒に思える。

また、ロイドと結婚してから家族の態度ががらりと変わった。

両親は早く孫の顔が見たいと言って、あんなに溺愛していた姉に愚痴さえ言っている。
姉はというと、付き合っていた男性に自分の本性を見せてしまったらしく、破局してしまったらしい。
加えてそのことが世間に広まり、悪女として名をあげてしまった。

色んなことがあったが、私はあの時婚約破棄できて良かったのかもしれない。
レオンには悪いが私はそう思う。

だってロイドに会えたのだから……

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