恋愛小説No.7「婚約破棄?いいですよ?」

「やっと来たか……」

私サラが部屋に入ると婚約者のカルイは不機嫌そうに呟いた。

ぽっちゃりとした体型、全然似合っていない髪型、他人を見下したような態度。

負の三点セットが揃っているカルイをまじまじと見つめながら、私は彼が言葉を続けるのを待った。

「遅いんだよまったく……こののろま女が。とりあえずそこに座れ」

いつもと変わらぬ数パターンしかない悪態をつきながら、カルイは近くの椅子を指さした。

私が腰を下ろすと、彼はあっさりと告げた。

「お前とはもう婚約破棄するからな」

「……え?」

何かの冗談だろうか?

婚約破棄?

一瞬夢かと思ってしまうほどにあっさりと告げられた私は困惑を隠せない。

しかし彼は反対にどこか自信ありげに言葉を続けた。

「実は他に好きな女が出来てな。お前なんかよりも百倍可愛くて優しい女だ。俺のことをいつも褒めてくれるし、尊敬もしてくれる。少々ドジだがまたそこも……」

そこまで聞いて私は気づいたら口を開いていた。

「わかった」

不思議と悲しくはなかった。

初め彼と出会った時は今と違ってイケメンだったし、性格も良かった。

しかし次第に彼は本性を現すようになり、容姿も醜くなっていき、今では愛情などほとんど感じてはいなかった。

だから、彼の方から婚約破棄をしてくれるのなら、それはそれで幸運なことなのかもしれない。

「ほう。案外おとなしいじゃないか」

彼は少し悔しそうに言うと笑った。

笑みが引きつっているのが分かる。

本心では私が狼狽えると思っていたに違いない。

カルイは自分を落ち着かせるように息をはくと、言葉を続けた。

「お前が数年は生きられるくらいの金と仕事はこちらで用意するつもりだ。だから安心して婚約破棄してくれていいぞ。なるべく音沙汰のないようにするつもりだが、お前がこれから婚約できなくても俺のせいにするなよ。お前が婚約できないのはその顔と性格のせいだからなぁ。ふはははっ」

予想通りにいかないイラ立ちを隠すように悪態をつくカルイ。

本当にどうしてこんな人間になってしまったのだろうか。

いや、元からこの男はそういう人間だったのか。

「……」

悔しい感情も一瞬湧きたったが、同時にそれ以上の自由も感じていた。

もうこの人と話さなくてもいいと思うと、少し心が軽くなる。

それほどまでに愛は冷めてしまっていたようだ。

「……話はそれだけ?」

私は冷徹な声でそう言うと、椅子から立ち上がった。

「ああ、もう帰っていいぞ。今日は愛しのあいつとデートだからな。お前に構っている暇なんてないんだ」

「そう」

なんでこんな人を好きになってしまったのか……。

後悔が胸をつく。

しかし生活費と仕事は与えてくれるらしい……憎たらしいがありがたかった。

私はカルイの方を向くこともないまま扉を開け、部屋を後にした。

カルイの与えてくれた仕事は服を作る仕事だった。

私は布を縫ったりすることは幼少期からしていたので、さほど苦労はせずに仕事をこなすことができた。

人間関係も思っていたよりも円滑に進み、次第に仕事にも慣れていった。

だが、やはりまだ与えられるのは下っ端のような仕事ばかりで、管理職などは遠い未来にあるかないかの話だろう。

そんなことを思いながら仕事をしていると、一人の男性に声をかけられた。

「君とても丁寧に仕事をするね。見ていて気持ちがいい。ほら、ここの所とか……凄く綺麗だ」

彼の名はゼフ。

私の上司にあたる人物である。

この会社の社長の息子で、次期社長と言われている。

「い、いえ。とんでもないです。私なんかまだまだ下手で……」

「いやいや全然下手じゃないさ。少なくとも僕よりは上手だよ。ははっ」

久しぶりに男性から優しい言葉をかけてもらった気がして、思わず心が揺れてしまう。

それを隠すように、自分の手元を見ながら針に糸を通していく。

「君名前は?」

「サラです……」

「そうかサラか。これからもよろしく頼むね」

「は、はい!」

ゼフは満面の笑顔で言うと、私の元を去り他の従業員たちに話しかけに行った。

近くで同じく作業をしている友人たちが小さな声で何か言っている声が聞こえる。

しかし内容までは分からない。

少なくとも私を嘲笑するようなものではないが。

「さて……続き……やろ」

私はゼフの背中から目を離すと布に向き直った……。

……私の家は裕福とは言えなかった。

小さいころには布を縫ってお金を稼いでいたし、両親共に働きに出て一か月と家に帰ってこない日もあった。

誕生日を一人で過ごしたこともあったし、両親のために作ったプレゼントを渡せない時もあった。

しかしそんなある日、街で偶然カルイと出会った。

彼は貴族の家の出身でお金には困っておらず、仕事も順調な風だった。

だが恋人がなかなか見つからず、どうやら私のことが気になったようで声をかけたらしかった。

憧れの貴族に声をかけられ舞い上がってしまったのを今でも覚えている。

そして時間が経つごとに私は彼のことを好きになっていった。

今考えれば、私が好きだったのは貴族の人間で、彼自身ではなかっただろう。

しかし当時はそんなこと気づきもせずに、彼を好いていた。

……私がカルイと婚約破棄をして両親は少しがっかりしていたようだったが、優しく受け入れてくれた。

「人生山あり谷ありさ。頑張っていればいつか報われる」

父はそう言って励ましてくれた。

そんなこともあって私は仕事に精を出すようになっていた。

頑張ればいつか報われる……父が言った言葉を何度も思いだしながら、一生懸命に働いた。

そして十年後……

「サラ。僕と婚約してくれないか。君を一生幸せにする」

「はい……喜んで」

私とゼフは婚約を果たした。

……さかのぼること二年前。

仕事にも慣れ、順調に出世していった私は順風満帆な日々を過ごしていた。

恋人はいなかったが、給料ははずんだので、不自由のない暮らしが出来ていた。

そしてそんな折、突然ゼフから食事に誘われたのだ。

「実は君のことが気になっていて……」

「え?……」

食事の最中そう言われ、私は高揚感に包まれた。

何を隠そう実は私もゼフのことが気になっていたからだ。

「だめかな……?」

「い、いえ……全然ダメじゃないです……」

緊張と嬉しさが全身を駆け巡り、私はコクリと頷いた。

そしてそのまま私たちは付き合うこととなった。

それから一年が過ぎ、ゼフは社長に就任をした。

まだ年若い彼の就任に異を唱える者は少なからずいた。

しかし時間の経過と共に、その声も次第に無くなっていった。

それはひとえに彼の人格あってのことだろう。

この後の一年はとても忙しい毎日だったが、お互いのことをもっと知れた一年でもあった。

意外とゼフはおっちょこちょいな所があって、どうやら私は笑顔が苦手らしい。

二人で過ごす時間は宝物のように思えて、離したくないと強く感じた。

そして現在……私たちはついに婚約を果たしたのだ。

式の日取りももう決めてある。

互いの両親からの了解も得ているし、あとは愉しみに日々を過ごすだけだ。

ゼフが社長になってから会社の勢いも増し、衣服業界では他を寄せ付けないまで会社が発展していた。

だが、ゼフはそれを嬉しそうには話さなかった。

「確かに僕たちの会社が上にいくことは嬉しいよ。でも、その分どこかの会社が下にいったってことさ。それを考えると素直に喜べなくて。ほらこの新聞の会社も……」

そう言ってゼフは手に持っていた新聞を私に見せた。

そこにはある衣服会社が倒産したとある。

でも、よく見てみると、社長が横領をしていたらしい。

「ゼフ。これは横領の記事よ。私たちには関係ないわ。ルールを逸脱した会社が倒産するのは自然の摂理のようなものでしょ? まったくおっちょこちょいなんだか……ら?」

記事にさっと目を通した私は言葉を止めた。

「え? うそっ……」

そこにはこう書かれていた。

『カルイ社長。会社の金を横領し逮捕。本人は女に騙されたと供述し……』

記事の横には、目つきの悪い私の元婚約者カルイの写真が添えられていた。

でっぷりと肥った腹まで記憶にある通りだ。

まさか……カルイが……。

突然の再開に言葉を発せないでいると、ゼフが肩を叩いた。

「どうかしたかい?」

「え?」

私は動揺を隠すように目を瞬かせた。

「い、いや何でもない!」

ゼフが不思議そうに私を見つめる。

カルイのことは何となくゼフには話したくはなかった。

私の中の悪い記憶であるし、不当な扱いを受けていたことで心配をかけても申し訳ないと思ったからだ。

「本当に? 何か嬉しそうだけど」

「え? そ、そんなことないわよ」

どうやら私は自然と笑みがこぼれていたようだ。

自分でも気づかなかった。

言われてみれば、確かに心の中にあったおもりみたいなものがすっと消えてなくなったような気がする。

今はすごくすっきりとした気分だ。

「僕は横領なんかしないから安心してくれよ。君と、この先生まれてくるだろう子のために一生懸命に働くよ」

「ふふっ。ありがとう。頼りにしてるね」

……その後、私たちは無事に結婚式を終え、娘を授かった。

出産を機に私は会社を退職し、家庭に入った。

今まで裁縫ばかりしてきたせいか、育児は大変だったが、両親の手も借りながら何とか娘を育てている。

ある日、私は父にお礼を言った。

頑張っていればいつか報われる……その言葉を聞いたのがつい昨日のように思えた。

「そうか、俺のあの時の言葉で……お前の役に立ったことよりも、単純に覚えていてくれたことが嬉しいよ。ありがとう」

父はしわの増えた顔に満面の笑みを作った。

「ううん、こっちこそ。お父さんのあの言葉が無かったらここまでこられなかった。本当に感謝してる」

父と話すのが久しぶりのような気がしてつい涙ぐんでしまう。

二人で話していると、娘を抱えた母が割って入ってきた。

「話は終わったの?」

「うん」

母は笑顔が素敵な女性だった。

太陽のように私たちを明るく照らしてくれる人。

この笑顔に何度救われたことか。

「お母さんもありがとね」

娘を受け取りながら、私は言った。

この子も母のように素敵な女性になってほしい……素直にそう思った。

「何が?……それよりゼフさんがそろそろ来るわよ。準備した?」

「今からするって」

私はそう言うと、一歩歩きだした。

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この記事を書いた人

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